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人に頼み様子を聞くことが精いっぱいでした。
息子は生後一ヵ月半ごろから徐々に安定するきざしが見え、オッパイも吸えるようになりましたが、依然として安心できる状態ではありませんでした。
消化不良を起こしたり、白血球が少ないなどで退院は予定よりも遅れ、生後三ヵ月、体重二九四〇グラムで家に連れて帰ることができました。退院後は順調に発育し、未熟児で生まれたとは思えぬほどの体重になりましたが、一歳前に肺炎にかかり二回の入院。一気に痩せ、風をひくたびに小児喘息を繰り返し、そして発作も起こすようにもなりました。発作が起きると顔面は紫色、呼吸も苦しそうになり深夜でも病院へ走りました。そうなると三日ぐらいは食欲も減退しました。こんなに苦しむ息子の姿を見るたびに、私はこの子と死のうとさえ考えたこともありました。
こうして、一歳の誕生も過ぎ二歳の誕生のころ、少しだけ伝い歩きもできるようになったのです。もちろん、言葉はありませんでした。しかし少し元気になると、また喘息発作といった繰り返しで、親の心配は一向に消えることがなく、かえって益々つのるばかりでした。
そんな息子も二歳半になって、ようやく歩けるようになったのです。このときの感激は今でも決して忘れることはありません。しかしその後も親の心配は消えることはありませんでした。
四歳になって、ようやく片言が話せるようになり。ましたが、当時は現在と違って相談する機関も少なく、途方に暮れるばかりでした、一相変わらず息子は喘息発作の繰り返しで、六歳まで

 

 

 

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